創作の話をしようとするたび言葉がつっかえていてその度なぜそうなるのかを考え出している

客観的視点として置かれた視点が常に批判的で自己分析のつもりの自傷行為なのかもわからない
それはどうでもいいことなので置いておく

最近の見解だと創作の話をする自分が人から見ると存在していることがとにかく許せないということになっている

創作の話から逆算的に自分がどんな人物であるかを悟られるとかコンプレックスや本人の癖が投影されていると考えられかねないのが嫌というのが何割かを占める

ネット上に絶対に自分の顔は載せないし年齢性別身長体重職業家族構成その他いろいろも話さないようにしてきたのに一方的な推察から人物像を導き出される可能性があるのがものすごく嫌
そんな悪意的な目線でなくてもなんとなくこうっぽいなと思われることも許しがたい

実際の自己が優れた人間であればフルオープンでもなんでもよかったのかもしれないがそんなことは断じてない
年々ただでさえ低い性能がさらに劣化していて、それでも若い頃は良かったんでしょ?的な世の中の風潮に腸を煮えたぎらせている
若者特有の全能感があった瞬間は一度たりともない

それはともかく、本当に心から自分が劣った人間だと受け入れているなら何を言われていても当然のものとして受け入れられるのでは?という反論がされるかもしれない
しかしそうではなくて、「本当の自分はこうである」とは別で「自分はこうあるべきだった」というふうに感じている
理想の自分ではない、それになるような努力もしてないしなれると思っていないから
もっとこう、腕が6つあるべきだったとかさらにいうと人間じゃなくて石であるべきだったとかそういった次元のかけ離れ方をしている

二次元のキャラクターになりたかったわけではない
ただ現実世界に自分が実際に存在していることが許せない
自分が非実在であるべきだったと最近は感じている