終わりのない悪夢の一部と思っていたそれはどうやら現実のようで、耳に届く恨み言は徐々に鮮明さを増していく。
「…………あなたなんてきらいだ」
「……ごめんね」
とっさに口から出たのは詫びる言葉。夢で何度繰り返したことか。
「……っ!」
「あはは、なんだか随分と嫌われてしまっていたみたいね」
「ち、違っ! そういうわけじゃ……!」
「いいよ、気にしないで。私はもう一眠りするね。……さつきはもう私のこと忘れて好きにしていいから」
まぶたを閉じようとすると強引に体を引き上げられる。痛いくらいに肩を掴まれていた。
「ばか、この大馬鹿っ……! 今度こそ逃さないからな」
「ええと、もしかしなくてもすごく怒ってる?」
「当たり前だろ……! オレがずっとどんな思いをしてた知りもしないでまた勝手なこと言って、その上また逃げようとして!」
「……ごめんね」
この上なく怒りを覚えているはずの彼の声は震えていた。まったくそらすことなく私を見つめる目からは絶えず透明な雫が滴り落ちていて、目元は真っ赤。ずっと泣いていたのだろうな。
ああ、またこの子のことを悲しませてしまったんだ。何もしなければこれ以上鎖月から何も奪わないでいられると思ったのに。そうじゃなかったみたい。私が関わってしまったときからもう駄目だったのかもしれない。
「……オレがなんで怒ってるかわかってる?」
「私が鎖月にたくさんひどいことしたから」
「……まったく違うとも言えないから困る」
「鎖月の大事なもの奪ってしまったから、そうでしょう?」
「今はそういうことじゃない」
何が違うのかな?紛れもない事実じゃあないか。私が鎖月の人生を奪ってしまったから、だからこんなに悲しませてしまってる。
「どういうこと?」
「オレのことずっと一人にしたから怒ってる」
「それだけ……?」
「それだけ、じゃないっ……! 千年!千年ずっと待ってた……! ずっと置いてけぼりにされた!」
「ご、ごめんって……!」
「約束も破ろうとした! オレのこと後悔させないって誓ったのに、私のこと忘れてなんて、そんなっ、そんなの、できるわけないっ、の、に……」
鎖月は言葉を紡ぐ途中でしゃくりあげて泣き出してしまった。……私が泣かせてしまったのに、触れてもいいの?一瞬躊躇したけど、放っておくなんてできなくていつもみたいに抱きしめて背中を撫でる。
「ごめんなさい」
「ばか、ばかあっ……! さつきなんて、きらいっ、だいきらい、きらいだっ……!」
「ごめんね、私のせいでこんなに悲しませてしまったね」
「っひぐ、うっ、ほんと、ばかっ……! きらいになんて、なれ、るはずないだろ……!」
ううん、さっきと言ってることが違うような。本気で嫌われたと思ったけどそうじゃないのかな。
もしも、そうだったら。まだ話をさせてくれるなら、どうか。
「鎖月に謝らないといけないこと、たくさんあるんだ」
撫でる背中はまだ小刻みに震えていた。声にならない返事が帰ってくる前に話を続ける。
「あの、……あのね。鎖月のお父さんとお母さんを殺したのは私なんだ」
「……………っ! ああやっぱり、そんな、気してた」
「何を言っても許されないだろうけどごめんなさい」
「許すはずないだ、ろ」
「君のことがどうしても欲しくて、私を見て欲しかったんだ」
「…………」
無言の沈黙。鎖月が何を思っているのかわからない。わからないけど、このまま全部吐き出してしまえば、いっそのことすっかり嫌いになってもらえたら。そうやって罰を受けられたらいいのに。
「ずっと鎖月のこと騙してた。何もかもなくしたところにつけ込んで、鎖月の全部になりたくて。はじめは一緒にいられるだけでよかったのに、鎖月に好きって思われたくなって、好きになってもらえたらずっと一緒にいたくなって。だから私の血を分けて。そうしたら私の冷たい血が混じったせいで鎖月のこと変えてしまったの」
「……落ち着いて。もっとゆっくりでいいから」
「ご、ごめん。あのね、私の血が体に入ったせいで、鎖月が前と変わってしまっただろうから。ごめんなさい」
いつのまにか、鎖月のほうが呼吸も落ち着いて冷静になっていたみたい。私は息が苦しいよ。
「……それは、覚悟してたし」
「そうじゃなくて、人を殺すこと。平気になってしまったでしょう?」
「ああ、うん。……だってあれは自己防衛だろ」
「そうじゃないときもあったもの。私の血のせいだよ」
そうに違いないよ、きっと。私が綺麗な鎖月を歪めてしまったんだから。だから、許されないんだ。
「人の親は殺しておいてオレの殺人は咎めるのか」
「……あ。そんなつもりじゃ……!」
口元を覆い隠しても失言は取り消せない。嫌、鎖月にひどいこと言いたかったんじゃないのに、そんなつもりで言ったんじゃないのに。
そうだ、見た目が変わってしまったときだってあんなに落ち込んでいたから、変わったってこと伝えたら悲しむと思ったから言えなかったんだった。なのに、私、ひどいことを。
「ごめんなさい。鎖月のこと責めてるわけじゃなくて、私のせいで」
「あなたのせいじゃない」
言葉を遮られる。その声色はどこか穏やかだった。
「血を分けたってことは力を分けたってこと、だって前に言ってたよな」
「……? ああ、そうだね」
「だから、ずっと咲々牙の後ろに隠れてばっかりじゃいけないと思って」
「そんなことな……」
「咲々牙の身を守れるようになりたかったから。だからこうして千年のあいだ咲々牙に傷一つつけさせなかった」
そうやって言う鎖月はどこか誇らしげで、まるで役目を果たした番犬みたい。
「でも、鎖月の手を汚させたくないもの……」
「咲々牙の手が汚れるのもイヤだ。それにもう十分に手遅れだし……」
ああそうか、私が眠っている間ずっと。私の眠る前の言葉を守らせ続けていたのか。また自分の罪に気づく。胸がずきりと痛い。
「……ごめんなさい」
「ほんとばか。泣きたいのはこっちなのに、なに泣いてるんだよ」
私泣いていた?ああ、言われてみると視界が滲んでよく見えないや。
「ごめんね」
「…………」
何も言葉は帰ってこない。その代わりに体をきつく抱きしめられる。嫌われてしまったはずなのに、どうして?どうしてこんなふうにしてくれるの。そんなふうにされたら。許してもらえるって期待してしまうよ。
都合のいい言葉が、身勝手な希望が理性を働かすより先に口から溢れる。
「だけど、鎖月は私を愛してくれる……? …………許してくれる?」
「許さない」
少しも間を空けることなく、揺るぎない返事。あは、なぁんだ、やっぱりもうだめなんだ。私はどうしてこんな勘違いをしてしまったのだろうね。この場で鎖月に殺してもらえたらよかったのにな。
「そうしたら、どうしたら、許してくれる? 私がどんな罰を受けたら許せる?」
「ばか! そういうことじゃない」
それはどういうこと?と聞くより先に言葉が続く。
「……咲々牙が罰を受けたってオレはなんの得もしない」
確かにそれはそうかもしれないけど、でも、そうしたら私はどうしたらいいのかわからないじゃあないか。
「あなたのしたことは許せない」
「うん、そうだね」
「だけど咲々牙のことをどうしようもなく愛してるのも事実だから」
「…………」
「だから、罪を感じたまま生き続けてほしい」
なんて残酷なことを言うのだろう。自覚し始めただけで動けなくなっていたのにこのまま生き続けるなんて、できるのかな。
「犯した罪の分だけ、いいやそれよりもっと、オレのことを幸せにして。今度こそ誓って。この千年の分もオレから奪った分も幸せにするって」
抱き寄せられた体を離されてじっと見つめられる。揺らぐことないその瞳は私の後ろめたいことすべてが見透かされているようで、それでも目を離したくなかった。今度は鎖月とちゃんと向き合わなきゃ。
「鎖月を幸せにするって誓うよ」
「本当に?」
「ほんとう」
「絶対に?」
「ぜったい」
「何があってもか?」
「天と地がひっくり返ってもだよ」
「……わかった」
そうしてやっと顔を綻ばす。あ、やっと笑った顔見られた。
「鎖月に笑って欲しいのにたくさん泣かせてしまったね」
濡れた頬をそっと拭う。赤らんだ頬と目元は今泣いていたからだけじゃない。きっと毎日泣き腫らしていたのだろうね。ああでも、泣いてる顔もやっぱり綺麗だった、なんて言ったらまた怒らせてしまうのは想像に難くないので言わないでおこう。
「まったく悪い人だ」
「ふふ、ごめんね」
「……そんな人が好きなオレも大概だろうけど」
小声で呟かれたそれは私の耳にはしっかり聞こえた。よかった、好きってまだ言ってもらえるんだ。
「取り残されてわかった。あなたのいない世界はあまりにつまらなくて色がないんだ」
「うん……?」
「もしもオレが咲々牙と同じ状況だったならきっと、同じことをしていただろう」
「もう二度と逃さないから」
「はは、いいよ。どこにも行けないように、君の鎖で私を縛りつけておくれよ」
そう願って名付けたのだから。君の世界をとざしてしまって、私のことだけ見てくれるように縛ってくれるようになればいいって。ひそかに祈りを込めた名前だから。
……今はそれがとてもわがままなことだったってわかっているけれど。
「……そういえば、体はもう大丈夫なのか」
「もうすっかり元気だよ」
「本当に?」
なんだかすごく疑われているみたい。心配性なんだから。
「ほら、全然平気、わっ……!」
棺桶から飛び出して大丈夫なところを見せようとしたらうまくバランスが取れなかったみたい。足をつける感覚が馴染まずよろける。
ううん、格好悪いところ見られてしまったなあ。
「危ないだろ、ばか……!」
「ごめんごめん。でも鎖月が受け止めてくれたから大丈夫だよ?」
「受け止めなければ転んでただろ」
「うーん、たしかに」
「綺麗な顔に傷がついたりしたら大変だから」
普段は恥らって聞けない褒め言葉が聞けてうれしい。鎖月ったら真面目な顔してそんなこと言うんだから。思わず笑い声が漏れてしまう。
「ふふ」
「笑いごとじゃないってば……!」
ああ、やっぱり可愛いな。どれだけこちら側になっても、大きくなっても鎖月は鎖月だ。どうしてそんな簡単なこともわからなくなっていたのだろうね。
「こ、こら、頭なでるなよ……」
「だめなの?」
「もっと反省しないとだめ……!」
そうやって言って私の手を捕まえる鎖月。けれど怒ってる様子は全くなくて照れているのが丸わかり。
「反省したらたくさん触ってもいい?」
「……ちゃんと反省したらな」
「ふふ、わかったよ」
そう答えると、逆に私の頭を鎖月が撫でてくる。手のひらのぬくもりが心地良い。いつまでもこうされていたくなってしまう。なんて、考えたりして。ふと視線を横へやると、眠っていた棺のかたわらの花瓶にほのかに紅く色づいた花が開いていた。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます