初めて、美しいと思えるものを見た。
これまで私はただ一度も心を動かされる事はなかった。そう、あのときまでは。
“大いなる夜”から零れ落ちた私たちは幾百幾千も歳を重ねた。けれど、私にとってこの世界はあまりに退屈だった。
同胞である姉妹はそうではないようだった。定命の者を観察する、飼い慣らす、嬲る。手法は姉妹により異なったけれど皆楽しそうだった。
ならば私も、とヒトを飼い慣らしても、一向に情は湧かず、それどころか好意を向けられるのが理解できず気味が悪いばかり。
もっと直接的に触れ合う事もしてみたけれど、反射的な刺激なだけで何一つ満たされない。
どういうわけか私には定命の者の区別がつかない。姿形に多少の差があるのはわかるがどれもだいたい同じに見えた。
私の世界はひたすらに灰色だった。
私が孤独を埋めようと試みている間に我が姉妹たちは同胞を増やしていったようだった。
……私だけ変わらず1人きり。
魅了して身を捧げさせることは容易い。けれど食事さえ虚しくなっていつからか止めてしまった。
それでもなお、この身体は朽ちることはない。
同胞のように尊い存在がいて、捧げられることがひたすらに羨ましかった。
ああでも!やっと、見つけた。
色褪せた世界で唯一鮮やかに見えた、あの子。
真っ直ぐな黒い髪と不安げな黒い瞳。しなやかなに伸びた手足に雪のように白い肌。
一緒にいたのはあの子の両親か、買い出しの帰りといったところかな。
私はどうしようもなくあの子が欲しくなった。
これを逃せばきっともう二度とこんな存在には出会えない。
どうしたら私を見てくれるのだろう?普通に近づくだけじゃ駄目。
……いいな、いいなあ。あの子に信用してもらえて一緒にいられる家族が羨ましいなあ。
なにか、私を家族のように見てくれるような、そんな方法……。
思案を巡らせていると、ふと思いついた。こんな方法が上手くいくかはわからない。
いいや、違う!なんとしても成功させる。
想像しただけで自然と笑みが溢れた。ああ、こんなに楽しいのなんて生まれて初めて。
満月の夜にもう一度あの子の家へ。待っててね、もうすぐ会えるから。
必要なのは私に依存せざるを得ない状況。私だけがあの子の家族になればいい。
家の戸を叩く。……私たちが招かれなければ家に入れないなんていうのは迷信。
音も立てずに忍び寄って殺すのは容易い、しかし筋書き通りにするためにはより大げさに争っている様に見せる必要がある。
哀れな婦人が眠たげな表情で扉を開ける。私が鋭い爪と牙を見せつけて微笑むとすぐに眠気は覚めてしまったようだけれど。
慌てて扉を閉めようとしてももう遅い。力では私のほうが遥かに上だ。
どうせなら派手にやったほうがいい。そう思った私はそのまま扉を張り飛ばした。
安全な”家”という空間を失った婦人は悲鳴をあげて家の奥へ走る。
追いかけて仕留めることは簡単だけれど、あえて余裕を与えてジリジリと追い詰める。
その際わざと家具にぶつかり物を落として大げさな音を立てた。
そう、この婦人以外にも今この家が脅威に晒されていることに気づいてもらわなければならないのだから。
……そろそろ彼女の役目も終わり。もういいや、さようなら。喉笛を一裂き。
泣き叫ぶ声は血の溢れるゴポゴポとした音へと変わりやがて静かになった。
もう一人も同様にじっくりと追い詰めて身体を引き裂いた。
後はあの子を探すだけ。どこに隠れているのかな。
タンスの中?ベッドの下?戸棚の中?テーブルの下?あるいは地下室?
どこでも構わない。どこにいても必ず見つけ出すから。
ああ、楽しいなあ。宝探しをしているような気分だよ。
本当は声をかけながら探したいけれど、それでは怖がられてしまう。
近くの鏡を見ながらしっかり返り血を拭ってから捜索を始める。
今の私ならあの子の心音だって聴き逃さない。
ほら、もう見つけた。こんな棚の中じゃすぐに見つかってしまうよ。
怯えきったあの子に予定通りの言葉を伝える。
「こんばんは。君の両親はね、強盗に襲われて死んでしまったよ。
通りがかった私が助けようとしたのだけれど手遅れだった。だけど君の両親の仇は私が討ったからもう大丈夫。
きっとどうしていいかわからないよね?だからね、君が落ち着けるまで私が一緒にいようと思うんだ」
もはや私の言葉が届いているかも怪しいくらいに怯えきったあの子は必死にうなずいた。
今は聞こえていなくても、構わない。
微笑んで次の言葉を紡ぐ。
「これからは私が君の家族だよ」
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