いつか昔に聞いたおとぎ話。年の終わりには人々の思い出からこぼれ落ちた星が降り、その星に祈れば願いが叶う、と。
誰に伝えられたかもわかりませんが、わたしはそれを知っていました。
◆◆◆
無数の本の山と数本のペンと白紙のノートが置かれた机。その中に一つ空っぽのカンテラがありました。それを見つめるわたしに気づいた彼は言いました。
「これは星を詰めて灯りに使っていた物」
「使うなら星を拾いに行かないと」
こうしてわたしたちはカンテラの星を探しに行くことにしました。
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夜に紛れて家を抜け出し森へ入ります。月明かりでぼんやり照らされた森の中には小さな泉があって、澄んだ水の中に色とりどりの小魚たちが泳いでいます。
「きれいだね」
わたしたちはしばらく二人で水面を静かに見つめていました。わたしたちの瓜二つの姿を鏡のような水面が写し出しています。
「行かなくちゃ」
やがてそう言って彼は立ち上がります。わたしも後に続きました。
◆◆◆
森の奥に進むにつれて道は次第に細くなっていき、ついには獣道と言っていいほどになります。それでもわたしたちは躊躇うことなく足を進めていきました。
夜の森は昼間よりもずっと暗く、そして静かです。聞こえる音といえば二人の足音だけ。そんな静かな夜の中、ふいに彼が立ち止まりました。
「どうしたの? 」
わたしの言葉にも返事はなく、ただじっと何かを探るように耳を傾けています。
すると突然、遠くの方から不思議な音色が聞こえてきました。
それはとても美しく、けれど悲しい音。どこか懐かしく、心揺さぶられるような不思議な音色。
「星がさざめく音だ」
彼は独り言のようにぽつりとつぶやきます。
まるで誰かを呼ぶかのようなその音に誘われるように、わたしたちはゆっくりと歩き始めました。
◆◆◆
歩き続けていると、ふと彼が言いました。
「想い出星の話、覚えてる? 」
「一年の終わりに落ちてくる願いを叶える星のこと。もう忘れてしまったかな」
そんなことはない、とわたしが首を横に振ると彼は少し間を置いて続けます。
「これから僕たちが探しに行くのはその星」
「ここは正しく時間が流れないから、いつでも見つけられる」
「ねえ、僕にこの話をしてくれたことも、もう覚えていないの?」
わたしはただ口を閉ざすことしかできませんでした。いつか誰かに聞いた覚えはあっても話した覚えはないからです。
怒っているのか悲しんでいるのか、彼は私の反応にうつむきます。
そして沈黙をかき消すかのように再びわたしたちは森の奥を目指しました。
◆◆◆
どこまで行っても広がる暗い森。どこを見ても同じ景色が続くばかりですが、不思議と恐怖はありません。なぜなら隣にはいつも彼の姿があるのですから。
森に入ってどれくらい経ったでしょう。わたしたちはいつしか大きな湖のほとりに立っていました。
「ここが目的地?」
わたしが尋ねると彼は小さくうなずいて答えました。
「ここで待ってれば星が来る」
それから二人並んで座り、静かに流れる時間を待ちました。
◆◆◆
「ごらん、星が落ちてくるよ」
彼の言葉のすぐ後に、森を歩いていたときに聞こえた懐かしく切ない音が再び聞こえてきました。
「あれだ」
彼は立ち上がり、指差します。わたしも急いで立ち上がりました。
そこは森の中でも少し開けた場所で、不思議なことに木漏れ日のように星明かりが降り注いでキラキラと輝いていました。そして視線を上げると、そこには満天の星空が広がっていたのです。
「わあ、本当に星が降ってきたんだね」
彼が星明かりが降り注ぐ場所を両手ですくい上げると、小さな星がいくつかありました。
「これだけあれば足りるかな」
わたしは星を受け取り、カンテラの中へそっと入れました。しかしカンテラの星は草むらの上にあったときよりも弱い光しか放ちません。
「どうしてだろう」
首をかしげていると彼は星を一つ取り出し火をつけました。
「こうすると一番綺麗に輝く」
そう言ってほほえみながら星をランタンに戻しました。
でもそんなことしたら星は燃えてなくなってしまうのではないでしょうか。
「これは誰かの思い出からこぼれ落ちた物。このままでもいずれ消えてなくなってしまうから」
「思い出は、忘れられてなくなる寸前が最も美しい」
わたしの考えていることを知っていたかのように彼は言いました。なんだか少し悲しいけどこれでいいのだと思えました。
「少しずつ燃やして使うといい」
明るく輝き燃える星のカンテラをわたしが、拾った星を彼が持ち家に帰ることにしました。
◆◆◆
「願いごとはしないの?」
「もういいんだ」
そう答えた彼の表情はどこか寂しそうで、だけど幸せそうな、そんなふうに見えました。
だからわたしもそれ以上は何も聞かずに、ただ二人で星明かりが照らす夜を歩き続けました。
祈りをくべて輝く星は優しく暖かでした。
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